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信仰のしおり

 

延命十句観音経のすすめ

 

観世音菩薩の功徳

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

信仰のしおり

 

 皆様はひょっとして、世の中の事はすべて偶然の重なりであり、それを自分の知恵と力で、災難が降りかからないように、自分や家族が幸せになれるように、あらゆる努力を傾けるのが人生だとお思いではないでしょうか。
 私は、昔から現在まで、人間の個人的な未来を、詳細な部分まで予言して、それが鴛くほど正確に的中した話が、極めて多く存在することに気付きました。しかも、これらの予言に共通するのは、三年先ぐらいまでの近い未来のことは、鴛くほど正確に的中するのに、予言の時点から年月が遠ざかるにつれて内容が微妙にずれ、最後にはほとんど当たらなくなっていくことです。そしてこのことが、予言の信憑性を失わせることにも繋がるのですが、実はこれには深い訳があるのです。
 私たちの体は、手足などは自由に動かせても、心臓や肝臓など、ほとんどの部分は、勝手に動かすことも修正することも出来ません。これと全く同じように、人生も、自分の自由に出来る部分は、ごく限られているのです、生まれてくるのも、成長していくのも、老いていくのも、死ぬことも、その他人生のほとんどは、自分ではどうすることの出来ない流れです。しかも、このことを、先程の未来を正確に予言する事実と重ね合わせると、私たちの人生も、自分の知恵や力では、ほとんどどうすることも出来ないシナリオに添って流れていることに気付かねばなりません。けれども、私たちの体が、努力次第で改善出来るように、人生の流れも必ず何らかの方法で改善出来るはずです。未来の予言が、予言の時点から遠ざかるにつれて当たらなくなるのは、私たちの日々の生活の在り方が、逗命のシナリオを微妙に変えていく力を持っているに違いないからです。したがって、もし命の流れを支配している法則がどのようなものであるかを理解出来れば、人生を幸福な方向に改善することも必ず可能です。しかし、もしこの法則の存在に気付かず、この法則に逆らう生き方をすれば、生活は次第に行き詰まって、不幸が次々に襲って来るようになるのです。ですから、あなたがもし幸福を求めるなら、どうしてもこの法則を知る必要があります。そして、難行苦行の末にこの法則を発見して、それを私たちに教えてくださったのが、外ならぬ釈尊だったのです。
 現在伝えられている仏教の経典は、そのほとんどが、釈尊が亡くなられてから何百年も経って、釈尊に仮託して創られたものですが、その中で、最も古い経典群に属し、最も釈尊の真意を伝えていると思われているお経に、ダンマ・パダ(真理の言葉、漢訳名法句経)というのがあります。その冒頭に、次の言葉が掲げられているのです。
 あらゆる物事は、心にもとづき、心を主(あるじ)とし、心によって作り出される。もし汚れた心でものを言い、また身で行うと、必ず苦しみが付いて来る。牛車をひく牛の足跡に車輪が付いていくように。
 また、もし、清らかな心でものを言い、また身で行うと、必ず福楽が付いて来る。影がその体から離れないように。
 私たちは、人聞の幸不幸は、すべて物質的な条件に支配されるものと思い込んでいます。お金や財産が幸福の何より大切な条件であり、災難や病気も、物質的な分析や方法で避けたり、癒したりするものだと思うのです。ところが釈尊は、お金も財産も、災難や、病気も、すべて心が先であり、心が支配しているのであり、心が作り出すのだとおっしゃるのです。清らかな心が幸福を作り出し、汚れた心が苦しみを生み出していくのであり、このことは牛車や影の譬えが語るように、絶対に狂いのない真実だとおっしゃるのです。でも、このことは、一般の人はもちろん、仏教に携わる坊さんたちでさえ信じられないことですから、この仏教の根幹である大切な教えは、人々に理解されず、結局は無視されてしまうのです。
 こうした人生の法則の存在が人々に信じられないもう一つの理由は、命の流れが、生まれてから死ぬまでの、ほんの短い聞に限られると思うからです。人生はたった一度だと思うからです。ダンマ・パダの他の部分には、命の無限性がさまざまな表現で述べられていますが、私たちの命が、無限から無限に流れる、永遠のものであることを前提とする時、始めて先に述べたダンマ・パダの冒頭の言葉が現実のものとなります、しかも、こうした輪廻転生の仕組みは、そうした思想の全く無かったイギリスやアメリカなどで、霊能者による極めて信憑性の高い霊界通信や、精神科の医者による退行催眠などによって、次第に明らかにされつつあります。現世の動かし難い私たちの運命のシナリオは、前世の私たちの心が作ったのです。現在のあなたの生き方が、来世のあなたの運命を決めているのです。
 ところで、ダンマ・パダの冒頭が語る清らかな心とは、隔てない愛の心、陰りのない明るい心、あらゆることを喜ぶ心、すべてに感謝する心など、プラスの心です。汚れた心とは、嫌う心、疑う心、恐れる心、怒りの心、憎む心、むさぼりの心など、マイナスの心です。釈尊のこの教えを素直に信ずるなら、私たちが幸福になるのは簡単なことです。常に自分の外へ、プラスの心を言葉や行為にして出していけばよいのです。また、私たちは一旦マイナスの心に囚われると、どうしてもそのストレスを言葉や行為にして外へ出さざるを得なくなりますから、結局はマイナスの心が起きないようにすることが大切です。しかし、そうは言っても、プラスの心は起こすことに必ず抵抗があり、マイナスの心は常に起き易いものです。だからこそ、この困難な心のコントロールを助けてくれる宗教が、どうしても必要になってくるのです。宗教の中で信じられる神や仏とは、私たちの命の流れを支配している厳正な法則に外ならないのであり、そして、その根源には、豊かな恵みと、限りない美の創造によって私たちを育み、私たちに無限の成長を促す深く行き届いた愛の心が働いているのです。宗教の中には、あらゆる悪を許してくれる神や仏を空想する宗教がありますが、そんな都合のよい神仏が存在するはずがありません。神仏の広い深い清らかな愛に、全身全霊を托すことによって、私たち自身のマイナスの心は浄化され、プラスの心は増大して、知らず知らず幸福に導かれるのが、本当の宗教なのです。それは、私自身が自分の信仰生活の中で、間違いのない事実としてつかんだ真理でもあるのです。

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延命十句観音経のすすめ

 

 

 

 この延命十句観音経は、どこでどのようにして成立したのかもよく分からないお経です。ところが、江戸時代の名僧である白隠禅師が、ある不思議な因縁でこのお経の功徳を人々に説かれるようになると、様々な奇跡が起こりました。瀕死の病人が治ったり、死人が息を吹き返したり、気違いが正気に戻ったり、悪霊が離れたり、盲人の目が開いたり、絶体絶命の危機を免れたり、その他数々の不思議なことが、このお経を信じた人々の間に起こったのです。(詳しくは拙著『光輪 第一集』をお読みください)

 私もこのお経を長年信仰してきましたが、読めば読むほどありがたいお経で、今では、現代を救うものはこのお経をおいて他には無いと思っています。

 次にあげるのは、私が朝晩お勤めしているものです。詳しくは毎月11日に行っている延命十句の会へおいでください。

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観 世 音 菩 薩 の 功 徳

 

1.妙蓮清浄

 観世音菩薩は手に蓮の華を持っていらっしゃいます。汚い泥の中に根を下ろして、そこから清らかで美しい花を開く蓮の華のように、この世の醜く汚い悪や罪をことごとく浄化して、その中から真実の喜びを与えてくださるのです。如何なる悪も如何なる罪も、観世音菩薩の浄化のお力によって、魂のすばらしい進歩の糧と化していくのです。

 

2.大威神力・大妙智力

 人間の力ではどんなにあがいても逃れる道のない難局や苦悩を、観世音菩薩は必ず救い尽くしてくださいます。ところは人々はそのお力を信じず、難局の力の方が観世音菩薩のお力の方が強いように錯覚してあきらめてしまったり、浅はかな人間の知恵に頼って底無し沼のような苦しみに沈んでいくのです。人間の力ではどうすることもできないからこそ苦しみ悩むのです。人間の力ではどうすることもできないからこそ観世音菩薩大慈悲の大威神力を信じ、その妙智力に任せ切るとき、例外のない絶対の救いが必ず実現するのです。

 

3.現世浄化

 観世音菩薩は冠の中に阿弥陀如来の像を頂いていらっしゃいます。阿弥陀如来の極楽浄土は、死後の世界でしか会うことができませんが、観世音菩薩は、その浄土をこの泥まみれの現世の中に花開かせようと、一切時一切処に全身全霊で働いていらっしゃるのです。菩薩を信仰している人は、いつか必ずこの世ながらの極楽を感受することができるようになるのです。そして死後も勿論、み仏の浄土に導いてくださることは言うまでもありません。

 

4.普門示現

 観音経には、観世音菩薩は人々の個性や特質に従って、ある時は仏の姿になり、ある時は神々の姿になり、ある時は様々な人間の姿となり、ある時は悪魔となり、ある時は動物の姿となるなど、あらゆる姿に形を変えて教えを説き、真実の世界へ導いてくださると書いてあります。観世音菩薩を信じる者にとっては、世の中のありとあらゆる存在は菩薩の姿であり、周囲に起こるあらゆる出来事あらゆる声はすべて菩薩の説法なのです。また、あらゆる宗教は、それが正しい教えである限り、すべて観世音菩薩の救いの形なのです。

 

5.福聚無量

 観音経には『一切の功徳を具し、福を聚むること海のごとく無量なり』とあります。私達がこの世の中で求める愛も、富も、名声も、欲望の満足も、その本質はすべて幻ですから、必ず最後には色あせたり消えたりして、求めても求めても心は満たされず、魂は飢え乾くのです。私達の魂がその奥底で本当に求めているものは、すべて観世音菩薩の中にあるのです。観世音菩薩の中にしかいないのです。観世音菩薩の与えてくださるものだけが真実なのです。生活のすべてを挙げて観世音菩薩に帰命する時、私達の魂は初めて完全な充足に満たされるのです。

 

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